« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

2012年5月の4件の記事

2012年5月30日 (水)

ひっさしぶりの休みに

久しぶりの丸1日の休み。

溜まった洗濯を片づけ空っぽの冷蔵庫の中身を買い出しに行き、

良いお天気に近所を歩きまわったりなんかして、

それでも心は晴れやかにはなれず。


先週、告別式に出席した後、

人が一生の間に一番多く口にする単語は『お母さん』なんだって、たまたま知った。

まさに大切なお母さんを亡くして悲しむお嬢さんたちの姿を目の当たりにした後で。

たまんなかった。

会えないなら電話くらいしなきゃな。

父にも母にも、出来る限りの感謝は伝えておきたいよな。

なんて思ったりした、

残りの人生の最初の一日。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2012年5月21日 (月)

またもお別れ

「ありがとうございますhappy01 どうにか 59回目の誕生日を迎えることができました~ まだまだ抗がん剤のお世話になっておりますが…諦めずに笑顔で前進します          私の誕生日を覚えててくれて 本当に嬉しいです          恭ちゃんとbeerできる日楽しみにしてます    今日は大吉なり~」

これは今年の1月、かつて寿司屋で一緒にバイトしていた方へのお誕生日おめでとうメールのお礼返信である。

そしてこれが、彼女自身からもらった最後のメールになってしまった。


2000年から2006年にかけて、共に働いた。

よく笑い、よく呑み、よく語った。

お宅まで泊まりに行き、夜遅くまで飲んだ。

彼女にとって、大変なことが続いた時期だったが、

私には涙ながらに本当の気持ちをぶちまけてくれた。


そんな彼女が癌を患っていると発覚したのが2010年。

昨年、千葉の教室に通っていた頃、

1度だけ、船橋でランチを食べた。

3時間、ずっと語った。

癌治療が比較的うまくいっていること、

もうちょっとで癌に勝てる、そう言っていたのだが。

今日、新宿の中央公園付近を歩いていたときに彼女のアドレスから届いたメールはお嬢さんによるもので、

「今朝、母が亡くなりました」

と書いてあった。

慌てて電話して、お嬢さんと二人で泣いた。

波乱に富んだ人生を送った人だった。

こんな私的な事をブログに書くのはおかしいと思われるだろうが、

なんか、

多くの人が知らなくても、たくさんのすんごい人生があるし、

みんながみんな、すごいんだぞと。

で、

やっぱり、

会いたい人には会っておき、

やりたいことはやっておかないと。

想像していたよりずっと、

時間は短く、早く過ぎていく。

こんなことを、伝えたくて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2012年5月15日 (火)

たまたまテレビを見てたなら・・・

うちの村が出てました。

Sh3e0638

日本一美しい村なのよ(誰が決めたか、どういう基準か知らないが)。

今日の番組は、ローカル局を訪ねて、今まで知られてなかった県民性を紹介するというもの。

長野県って、男性の平均寿命が日本一長いんだって!

その秘密が
1、祭り(奇祭)
2、食べ物
3、温泉
なそうな。

で、長野県民の変わった食生活の一つとして、うちの村をはじめとする南信地区で昔から貴重な蛋白源として食べられてきた蜂の子が紹介されて、

うちの村で、ギネスブックにも載ったという蜂の巣作り名人の富永さんが出演したのね。

で、生の蜂の子、食べてました;

ちなみにこの写真は別の村人が食べてる調理後の蜂の子。
Sh3e0639

全員が全員食べると思われても困るんだが・・・・;

子供のころ、物心付く前はよく食べてました、美味しかったです。

でも、ある日、気が付いたんです。

「これ、虫だ・・・・・」

いや、今こんなに元気なのは、ちっこいころにあなたたちを食べて、

精が付いたからですかね。

ありがとう、蜂の子さんsweat01

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2012年5月13日 (日)

お久しぶりになってしまったー

4月の22日以来のブログになってしまった・・・・。

忙しかったのと、体調崩してたのと、なんとなく言葉を発する元気が無くて、

気がついたら3週間。



そう、何もしなくても、時間は過ぎてく。

ファンクバンド時代によくお世話になってて、

「TWO-D(私の当時の名前)の声を聞くと、だれかのお母さんとかじゃない、全人類の、普遍的なお母さんの声に聞こえる。」

と言ってくれた人が昨日亡くなったそうだ。

もう、13年、会ってなかった。


私にとっては謎の人だった。

生まれた時から心臓などたくさんの不機能臓器を持ち、

医者からは「この子は半年もたないでしょう」「3歳まではもたないでしょう」「6歳までは・・・」「20までは・・・」と

さんざん命の期限を言われたにもかかわらず、

本人の精神力だけで、「絶対死なない!」という気迫だけで生き続けた彼女。

おそらく、ものすごい痛みと日々闘いながら、

もうモルヒネも効かない体でバーボンをあおり、酔っぱらって痛みをごまかし、

何度もわれわれのライブの時に倒れる姿を見た。

それでも、バンドのことを一番思ってくれてた。

それでも、それっきり、会ってなかった。

「会おうと思えばいつでも会える」って、

思ってる間は会いにいかない。

人にはできるだけ会っておかないと、

会えなくなる、ほんと。


医者の診断を裏切り続け、45年間生ききった彼女を、

一生忘れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »