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2006年2月の12件の記事

2006年2月26日 (日)

もう、2月が終わる。
今週の半ばからは3月、春ももうすぐそこだ。

朝からの冷たい雨が、一日降り続いた。
雨は嫌いではない。
むしろ、眺めているのは好きだ。

季節の変わり目の雨は、
一雨ごとに気温が変わったりして趣がある。
霧雨や豪雨、雨にもいろんな種類があり、いろんな表情がある。

子どもの頃、雨が降った後に出来る、きめの細かい土が好きだった。
家の車に乗り込んで、運転席に座って、
ワイパーを動かさないで見る水の流れが好きだった。
激しい雨の時には、雨の音にかき消されるから、
大きい声で歌を歌えるのが好きだった。
近くの杉林に、杉の山に、
さんさんと雨が降り注ぐ音を聞き、見て、
ただただ、自然の営みに立ち尽くしていた。

雨の匂いも好きだった。

降り出しのときの、なんか焦げたような匂い、
しばらく降り続いた後での、青い匂い、
そして、季節ごとの雨の匂い。

最近雨の匂いを感じていない。
東京だからと言いたくない、
まして、
大人になったからなどと、決して言わない。

なんとなく今日は、
何億の雨粒の中の、たった1粒との出会いに、
感謝したい。

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2006年2月24日 (金)

茨木のり子さんの訃報

先ほど、はじめて知りました。
ここのところずっと、テレビや新聞などの情報源から遠ざかっていたので遅くなりすぎました。
私の大好きな詩人の訃報です。
19日日曜日、亡くなっているのが発見されたそうです。79歳でした。
彼女の詩に出会ったのは5年ほど前。
先日のライブにも詩集を持って行って、朗読コーナーを作ろうかなんて考えてたんです。

彼女の詩は強く、凛としています。
生半可な自分は、何度も背中を叩かれました。
敬意を表して、大好きな詩、2編を、ここに載せさせてください。

「自分の感受性くらい

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて
 
 気難しくなってきたのを
 友人のせいにはするな
 しなやかさを失ったのはどちらなのか

 苛立つのを
 近親のせいにはするな
 なにもかも下手くそだったのはわたくし

 初心消えかかるのを
 暮しのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ」


「さくら

 ことしも生きて
 さくらを見ています
 人は生涯に
 何回ぐらいさくらをみるのかしら
 ものごころつくのが十歳ぐらいなら
 どんなに多くても七十回くらい
 三十回 四十回のひともざら
 なんという少なさだろう

 もっともっと多く見るような気がするのは
 祖先の視覚も
 まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
 あでやかとも妖しとも不気味とも
 捉えかねる花のいろ
 
 さくらふぶきの下を ふららと歩けば
 一瞬
 名僧のごとくにわかるのです

 死こそ常態
 生はいとしき蜃気楼と」

蜃気楼から、常態に戻られましたね。
でも、あなたの蜃気楼は、私たちの脳裏からは消えることはありません。

79年、お疲れ様でした。
本当に70回のさくらを見て逝ってしまうなんて、
言葉には力がありすぎます。

安らかにお眠りください。
私はあなたを忘れることはないでしょう。

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父のメール

一週間ほど前に、アナログな父親にメールを送った。
「こっちは元気だけど、そっちはどう?」みたいな事を。

返信できないのだろうと、メールしたことさえすっかり忘れ去っていた。

今日になって返事が来た。

件名
「げんきか」

本文
「こちらはげんきだよ゜かふんしょうはどうですか」

句点の「。」ではなく、半濁音の丸が「よ」に付いてる。

芸術的過ぎて、おかしくって笑い転げて、

そのあとやっぱり、涙が出た。

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2006年2月23日 (木)

地上150メートル

今日は東京タワーの展望台に、クロマチックアコーディオンプレイヤーのかとうかなこちゃんと、我師向島ゆり子(バイオリン・ビオラ)さんのライブイベントを見に行った。

何年かぶりに上った東京タワー。
一回目は小学6年生のときの修学旅行!
二回目は、タンザニアに旅立つ前に日本出発記念に。
それ以来だから10年ぶりだ;

060222_21040001

夜景を撮影してみた。
真ん中明るいのが銀座。
さすがネオンの街。
みんな楽しく呑んでらっしゃるんでしょうね。
私も昨日はお世話になりました・・・;

二人の演奏、本人たちはいろいろあったみたいだけど、見てるほうはとても楽しませていただきました。
展望台に上っている人たちは無料で見られるので、行き交う人が足を止めてみたり、レストランのお客様が見ていたりと、会場の雰囲気も素敵でした。
かなこちゃんのアコーディオンは、本当に素敵です。
ルックスもかわいいし、アコーディオンの切れもいいし、
トークも面白いし、これからさらに活躍していくことでしょう。

・・・そして、密かに共演計画中なのです、ぐふふ。

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2006年2月22日 (水)

最高

やっぱり、すごい人はすごい。
ギターの高木潤一さん、
来月からスペインに住まわれる。

060222_08500001


どうか、世界にはばたいてもご活躍を、
そしてご無事で、そしてお幸せに、
そして、また一緒に音を創らせてくださいね。

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2006年2月19日 (日)

雨水

今日は二十四節気の「雨水」。
雨水の冷たさが和らぎ、草木も芽吹きだす頃なんだそうだ。

いやしかしまだ寒い!でも寒いのは良い。

先週4月並に暖かい日ってのがあったけど、思わず悲しくなってしまった。
私、春が苦手なんです。
花粉症ってのもあるんだけど、冬の「ピキっ」とした感じ、乾いた感じが
春になるとだら~っとゆるむのが嫌い。
季候がゆるむから、春先っておかしな人が出てくるでしょ。
学生時代、露出魔が家に訪ねてきたのも春だった;

乾いた空気に、天の川まで見える冬の夜空、もうすぐ見納めかぁ。
今度冬が来る頃
私はどんな想いで夜空を見上げるのだろうか。

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2006年2月16日 (木)

ああ、金運無し

今日出たお店のギャラ、封筒でもらって楽譜のファイルに挟んだ。
家に帰って探せど探せど無い!

12月に無理やり頼まれて、千葉くんだり(千葉の人すみません)まではるばる2日行ったギャラが、約束の日を5日過ぎているのに振り込まれない!

前者は自分の責任(多分落とした)。
しかし、後者はひどい!
いまだに有るのよ人種差別、
「士農工商ミュージシャン」!!!

仕方ないか、社会に順応できない人がなる職業だもんな~。

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2006年2月15日 (水)

十六夜

足りないのでなく
満ちた後で欠けた今日の月は十六夜

しかしその力は強く
その光は強く
欠けているかどうかも分からない十六夜

十六夜の月を見ると、なぜか母親を想う

私にとっては満月
でも一人の人間としては、完全に完璧ではない人

でも、なぜか満月よりも優しい

欠けていることを知っているから

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2006年2月14日 (火)

満月の後で

満月にはうそはつけないと、
昨日書いたにもかかわらず、
自分自身がそれに本当に気付いていなくて、
今日の満月の元、
自分のあさはかさを
露呈させられただけの夜でした。

勘違いしていることに気付かず、背伸びして揺らいでしまう、
立っているつもりでも土台が出来ていない、
結局、努力が足りんのです。

私が誰なのかを、
自分で把握できなければ・・・。

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2006年2月13日 (月)

満月

明日は満月。
今日もきれいな月が、夕方からずっと見えてた。

明日の晩は、しかも一ヶ月楽しみにしていたライブだ!

むふふ、良い予感。


月には嘘はつけない。
特に、満月の光には。

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2006年2月12日 (日)

ライブ鑑賞 2

今日も旧友のライブを見に、恵比寿まで行ってきた。

すごかった。
こいつはすごいエンターテイナーだと思った。
また、バンドも良かった。
一番気にいったのはベースの土井さま。
エレベなのにぶりぶり良い所でからんできてくださる。
しかも話したら、本職はウッドベースだというではないか!
もう、一度見に行くしかないっす。

古き良き時代の音楽、といってしまえばそうなんだが、
かれこれ80年近く前から受け継がれているアメリカの音楽を、
この2006年に東京で日本人が演奏して、それで盛り上がれる人々がまた全員日本人で、って、
すごくないか???
しかも客層も老若男女まあ女性多目(MITCHの日だからかも)という状況。
日本経済が少し上向きって話も照らし合わせつつ、
われわれの未来にも、少しは日が差し込んできそうなそんな予感とともに、
今日はニューオーリンズの夢を見ながら、就寝したいと思います。

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2006年2月 4日 (土)

名前 再考

先日のライブ前、テンポのリハのとき、ふと思った。
あたしの曲にはよく、「名前」って単語が使われる。

名前って不思議。
物に名前をつけると途端に、そいつは特別なものになる。
あたしはすぐに物に名前をつける。
今、冷蔵庫にも名前がある。

また、人の呼び方も、その人との関わり方を端的に表す。

どちらかというと名字で呼ばれることの多かった今まで。
確かに「横前」なんて変わっているし、
このあっさりした性格から、男性のように扱われてきたことが多かった。
そしてそれが好きだった。

だが最近、「恭子」という響きをよく耳にするようになった。
呼ばれるたびにドキッとしてしまう。
あ、この人は私を女性として見ているんだ、って感じてしまう。
もちろん、同性から呼ばれる時も。
なんか、こそばゆい。
そこではきっと、女でいなきゃいけないんだなって、思ってしまう。

そしてまた、「2-Dee」と呼ばれることもある。
これは音楽仲間や昔のバンド関係限定。
でも、実はこれが一番好きなんだな。

きっと、あたしは三重人格なんだ。


ところで、人との関わり方の中で、呼称は変化する。
「~さん」から「~ちゃん」、呼び捨て、さらには固有名詞すら姿を消す。
呼称が変わると、その人との距離感の変化を感じる。
呼称の変化は、そこにその人の意思を感じる。

みんなが自分のことをなんて呼ぶか、
よく聞いてみるとおもしろい。

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